2014/11/29

つい取ってしまう2冊目の週刊誌

「知ろうとすること。」読了。
糸井重里さんと早野龍五先生の共著。早野先生のツイッターは東日本大震災直後からフォローしていた。科学的なデータを提示し、わかりやすく、説明をツイートしておられたので、貴重な信頼できる情報源だった。
糸井さんもそんなふうに感じたようだ。
「早野さんは冷静に事実だけをツイートしていて。ああ、この人は信頼できる人だ、と思ったんです。」

そして、情報を選択する基準について次のように言っている。

「ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、『よりスキャンダラスでないほう』を選びます。『より脅かしてないほう』を選びます。『より正義を語らないほう』を選びます。『より失礼でないほう』を選びます。そして『よりユーモアのあるほう』を選びます。」

同感です。あふれる情報の中から何を選べばよいのか。自分の責任において取捨選択しなければならないとき、何を拠りどころとすべきか。よくよく考えなくては。さらに、リツイートやシェアによって、情報がどんどん拡散してゆくことの怖ろしさを認識しておかなくては。

「2冊目の週刊誌」の例には痛いところを突かれた。わたしも平積みの本を選ぶとき、なんとなく2冊目を引っ張り出して買うことがよくある。その行動が、風評被害につながるという指摘である。

早野先生は、給食の陰膳(かげぜん)調査や子どもたちの内部被ばく測定装置開発まで、最初は自前で取り組んでこられたそう。必要だと思ったら行動する。そして、たとえ科学的には必要がなくても、お母さんたちの不安を解消してもらうために開発したのが「ベビースキャン」だった。

人間は、科学的な裏付けだけで納得できなかったり、安心できなかったりするから、やはり目の前で測定して「ほらね、大丈夫ですよ」と言ってもらいたいのだろう。この装置のおかげで、お母さんたちと会話をする機会ができ、具体的な心配の内容を理解できたと早野先生は言う。だから、この装置は結果的にコミュニケーションツールとして大変役に立ったとのこと。

科学的な事実も、相手に十分に伝えることができなければ意味がない。知ろうとする姿勢に応じて、伝える姿勢についても考えるべきだろう。
最近、また、医師のコミュニケーション能力の不足・欠如を感じることがあったので、早野先生のような視点を医療現場の人にも持ってもらいたいと思う。

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2011/04/27

やめられないとまらない『アメリカ音楽史』

丁寧に(というか本音はゆっくりと)英語を読むクラスがあればいいのに…と思っていたら、毎回3ページくらいを精読、議論するという翻訳のクラスを見つけた。待ってました!と初回の授業に行ってみたが、時間になってもだれも来ない。一旦、部屋から出て、教室番号を確かめた。さらに待つ。。。むむっ、これはやばそう。廊下の陰でこっそり様子見をしようと立ち上がったところに先生登場。「こ、これは・・・」と先生も絶句。

「他に、この時間に取ろうかなと思っている授業はないですか?」と聞かれて、ないと答えたものの、先生もお困りの様子だったので、「あ、やっぱり受講しようと候補に挙げてたのがありました!」と切り出すと、先生は「そのほうがお互いのためにもいいでしょう!」とほっとされた。でも、その候補科目はそれほど惹かれるものがなかったので、再度、シラバスで他研究科の授業を探す。

そうしたら、ポピュラー音楽研究の基礎文献を読む授業を発見。すでに初回は終わっていたので、ちょっと不安だったけれど2回目に顔を出してみた。教室は通常の語学クラス用くらいの大きさだけど、教卓横にはグランドピアノがおいてある。後ろの隅っこには、もう1台小さなピアノみたいなのがあった。きれいな茶色をしてたけど、あれはチェンバロなんかな。次回、ちゃんと確かめよう。
男子受講生はファッションにこだわるタイプが目立つ。ロック系、ヒップホップ系はけっこう見かけるけど、音楽学研究室はクラシック系が多そうで、普段あまり見かけない、きれいめタイプがいる。こだわり方が二極化していておもしろい。

その授業で先生がすすめておられたのが『アメリカ音楽史』(大和田俊之著)。以前から要チェックと思っていたのだけど、授業後に先生と話したときに、bluesに興味があると言うと、それならまずこれを!とさらにプッシュされたので、その足で生協にゆき購入した。Twitter上でも、やめられない止まらないかっぱえびせん状態とか、面白すぎて読み進むのがもったいないと大好評。
本書は「アメリカのポピュラー音楽を駆動してきたのは『他人になりすます』欲望である」と捉え、「擬装」をキーワードに音楽の歴史化を読み解くもの。(ネット上に「偽装」と誤記のある文章が出回っている。きっと、だれかが間違えたのをみんながコピペしているのだろう。)著者はアメリカ文学の研究者で、この本は大学での講義が元になっているそう。巻末の参考文献レビューもすばらしい! ていうか、これくらい読まなあかんねんなあと身が引き締まる。ホントにこれを読み出すと予習ができないので、手の届かない場所に追いやっている。

ちなみに上記授業の先生は、こちらで紹介した新書の著者で、この4月にうちの大学に着任されたもよう。

アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)

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2011/04/18

文字を読んで声を聞きたい

バリが舞台の作品を読みたいと思って検索していたら、高樹のぶ子さんの「SIA(Soaked in Asia)」というプロジェクトを見つけた。5年かけてアジアの10カ国をまわり、それぞれの国の作家と対談したり、作品を紹介したり、また、高樹さん自身がその国を舞台とした作品を書くというもの。その最後を飾るのがインドネシアだった。もう少し早く知っていたらなー。
インドネシアの巻では、バリ出身の作家オカ・ルスミニを紹介。彼女の「時を彫る男」と、バリを舞台とした高樹さんの短編「芳香(ハルム)日記」が『新潮』(2010年10月号)に掲載されたとのことなので、図書館で借りて読んでみた。

インドネシア語やタイ語は独特のやわらかい響きがある。作品を読む前から、わたしの頭の中は旅先で耳にした、なだらかな曲線を思わせる抑揚や柔らかな鼻音が渦巻いていた。でも、ページを開いて読み始めると、そんな声はまったく聞こえてこない。ルスミニさんの作品の翻訳文は、わたしにとっては硬い印象の日本語だったので、文字を追って頭に浮かぶのは無機質なカクカクした日本語だけ。バリの風景は目に浮かんでこない。
英語作品の翻訳を読むときは、それほど違和感はないので、バリの場合はわたしの中でできあがったイメージが大きすぎたのだろう。

 

昨日の「たかじんのそこまでいって委員会」に放射線の専門医である中村仁信先生が出ておられた。前回出演されたときに「放射線は少量だったら、活性酸素を生み出すし、身体にいいくらいだ」と発言して波紋を呼んでいた。今回は少し時間を与えてもらい、資料を使って、今の状況が安全であると言える理由を説明された。わたしはなるほど~と納得して、出演者一同もおおむね安堵の表情を見せてたのだけど、関東方面ではあまり放映されてないのが残念。それでも、正反対の意見を唱える学者もいるので、いったい何を信じたらよいのかわからなくなる。

中村先生のことを御用学者だと切り捨てる発言もネット上で見かけたけど、別に原発推進とは言っておられない。わたしが見た範囲では、現在の状況をもとに、ほうれん草を食べてもだいじょうぶ、水道水を飲んでも問題ない、ということを説明されているだけ。先生は、ICRP(国際放射線防護委員会)の委員でもあり、ここの基準値が昔に定められたまま変更されないでいる事情なども指摘してはった。
わたしが絶対の信頼をおいているkikulogでなにか言及されてないかなーと思ったけど、4/7が最新のエントリだった。でも、放射性物質拡散予測の誤解の話や「100mは長いか短いか」という数字の見かたの話はためになる。

それから、たまには、こちらものぞいてくださいね~。今回の旅では、カラフルなウブド市場の写真がお気に入りです。

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2011/04/10

Journeyが聞こえて… "glee"放映スタート

8日から"glee"というドラマが始まった。アメリカの学園<ミュージカル>ドラマ。「グリークラブ」といえば、男声合唱団のことだとばかり思っていたけど、このドラマに出てくるglee clubはポップスやロックを歌って踊る華やかなステージを見せてくれる。

TVからJourneyの♪Don't Stop Believin' が聞こえてきて、振り返ったらこのドラマの予告編だった。楽しそうなのでさっそく録画予約をした。アメリカで2009年にスタートしたこのドラマは大変な人気で、ゴールデン・グローブ賞の作品賞を2年連続受賞。ケーブルTVのFOXチャンネルでは、すでにシーズン2を放映しているのに気がついたので、両方平行して見ることになる。NHKは吹き替え、FOXのほうは字幕なのだけど、登場人物の言葉遣いの設定などもおもしろい。

初回を見た印象はゲイの存在が大きいということ。そういえば、『現代アメリカのキーワード』(コレ、おすすめ!)では「クイア・アイ」というリアリティ番組の大ヒットが紹介されていた。これは「お洒落なゲイの5人組が毎回1人のストレート(ヘテロセクシャル、つまり異性愛の意)の男性をカッコよく『変身』させる」番組である。これらの番組のヒットは、アメリカ社会におけるゲイの現状を反映しているってことなんだろう。

"glee"はさらりと流すと他愛もないプロットに見えるけれど、社会の周縁にいる人々を描いており注目すべき点は多いと思う。それでも重苦しくなく(一部の韓流ドラマは見てるとしんどくなるので苦手)、なんといっても音楽がいい!ので、金曜の夜にこのドラマを見れば、1週間の疲れを吹き飛ばせそう。
ちょうど今、期間限定で第1話が無料配信されている。どんなドラマ?って方はぜひコチラへ。とりあえず、♪Don't Stop Believin' のところだけ見たいという方は、45:15あたりからご覧ください。

現代アメリカのキーワード (中公新書)

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2011/01/30

♪夏季衛生唱歌を「歌う国民」

困った。レポートのネタが浮かばない。それに「歌う国民」(渡辺裕著)を読み始めたら、これがかなりおもしろくてやめられないのだ。
「はじめに」で紹介される「夏季衛生唱歌」でつかみはOK! 歌詞を読むと、著者が書いているように「思わず笑い出してしまいそう」になる。。というか目がテン。

出だしは「さみだれふりて空くらく 学びの窓はうちしめり」といかにも唱歌ってかんじで始まる。「うめの実きばむ時はきぬ かびのはえるはこの時ぞ」と続き、思わず「へ?」と新書に目を近づけて読み返した。
そして↓のように具体的にあぶない食べ物が挙げられ…

かにやいかたこえびいわし
あげものかひるゐ(貝類)ところてん
ささげにかぼちや、もち、だんご
いづれもこなれぬものなるぞ

さらに↓「実践的アドバイス」まで。

すべてのみくひしたものが
あとでわるいと気付いたら
ゆびをさし入れはきだして
あとをしほゆ(塩湯)でよくあらへ

これで「唱歌っていったいなんなん?」と疑問を抱いた読者は、著者の解説にぐいぐい引き込まれてゆくことになる。そして「国民づくり」、「国民の啓蒙」のために唱歌が作られたという背景が明らかにされるのだけど、あの「鉄道唱歌」が正確には「地理教育鉄道唱歌第一集」といって66番まであるとか、「郵便貯金唱歌」の存在とか、もう「へぇ~!」の連続。

校歌や社歌、県歌(なんてあるんやね!)等々、たしかに日本人は歌うのが好きというか、みんなで歌う/歌わされる機会が多いのかもしれない。小中高大の校歌はどれもなんとなく覚えているし、大学では応援歌も歌った。いまの大学の校歌を知らないのは時代の流れか(わたしの)帰属意識の薄さか。
中学ではクラス対抗の合唱コンクールがあった。学生時代に旅した北海道では、ゆく先々のユースホステルでいろんな歌を歌ったし、オリジナルの歌もたくさんあった。社歌は経験ないけど、大阪人に六甲おろしは外せない。

一緒に歌うことが生み出す帰属意識ってたしかにあると思う。ギャレス先生のクワイアづくりドキュメンタリを見ていても、歌うこととコミュニティ形成の関係がよくわかる。
これから先、なにか新しく唱和する機会はもうないかもしれないなー。あるとしたら般若心経くらい?

歌う国民―唱歌、校歌、うたごえ (中公新書)

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2011/01/06

ブルーズはレコードから

う~ん、首・肩・背中がコリコリ3点セット。目はしょぼしょぼ。マイシュウロンは、しょぼいしょぼい。
(「しょぼしょぼ」という表現は今の目の状態にぴったり。「しょぼ」ってどこから来たんだろ。最初に使った人はエライ。)

昨日は仕事初め。ビル全体が冷えきっていたので、夕方になっても暖房が十分には効かなくて、手足の先が死人のように冷たくなった。家に帰ると、くしゃみを連発。貼るカイロで応急処置をして、なんとか生き返った次第。冷えたせいで胃が痛くなり頭痛もしてきたので、時間が惜しいけど悪化は避けたいので早めに寝た。
今日は朝からダイニングテーブルを占領してずっとPCに向かう。ベランダからの陽射しがまぶしいなーと思っていたのに、ふと気づいたら薄暗くなっている。半年くらい前から、これくらい根をつめていたらねぇ。。

先月買った本『ブルース 複製時代のフォークロア』(湯川新)は法政大学出版局の発行。ブルーズの歌詞に常套句があるというのはよく知られているけれど、この本は旋律のパターンを分析しているのが珍しい。楽譜も多くてややマニアックと、どこかのレビューにあったのだけど、読んでみたら旋律の分析は先行研究の紹介だった。歌詞については、ブルーズの歌詞を知りたいという一般読者にはおもしろく読めるかもしれないけど、分析というには物足りないかな。

興味深かったのは、1927年の黒人世帯の調査によれば「調査対象313世帯の19%が蓄音機を所有していた―ラジオは皆無―」だったこと。2割足らずというのはあまり多い数値とはいえないけど、ゼロに比べたら有意といっていいよね。。いいかな?
「レコードは20年代にあっては、黒人たちの共有する唯一のマスメディアでもあった。」
レコードよりも早くシート・ミュージックのブルーズが世に出たけれど、譜面の消費は主に白人によるものだった。文字や楽譜の読めない黒人にとっては、やはりレコードが重要な役割を果たしたんだなあ。

ブルース―複製時代のフォークロア

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2010/12/05

『村上春樹を音楽で読み解く』

…(栗原裕一郎監修)を駆け足で読んだ。村上作品はほとんど読んでないけど、ブンガク作品を音楽で読み解くアプローチに興味津々。クラシック、ジャズ、ポップス、ロックとジャンルごとに章立てをして、それぞれの道に詳しい執筆者を揃えている。これまで村上作品と音楽について書かれた文章は、音楽に対する理解不足のため的確な指摘とは言い難い。(特別鼎談の「ビーチ・ボーイズとローリング・ストーンズの区別がつかない人ばかりだから」という発言が笑える。その気持ちよくわかる~。)だから、自分たちがまっとうな議論を立ち上げるのだという主旨で企画された本らしい。
村上春樹を音楽で読み解く

ジャズ担当の大谷能生氏は、執筆を依頼されて初めて村上作品を手にとり、時系列に沿ってほぼ全作品を読んだというからすごい。でも、『1Q84』はBOOK1でやめたとか。。そのあたりをストレートに語っている特別鼎談は井戸端会議風でおもしろい。
大谷氏は、「テナーサックスとアルトサックスのサウンドの区別もできなかったであろう」中上健次の『破壊せよ、とアイラーは言った』を引き合いに出し、細部への村上春樹のこだわり、それによって生まれるリアリティを指摘する。

わたしは、大和田俊之氏のポップスの章…「音楽の固有名詞を、その意味ではなく機能を中心に考察する」という試みがおもしろかった。
「代替可能な楽曲が故意に選ばれることで固有名詞の正統性が剥奪され、読者がそれぞれの経験に根ざした楽曲を代入する<空白>として機能している」というのはなるほど~と思ったのだけど、後半はまだちょっと理解できてない。あと「脱臼」という言葉が出てきたけど、これ、まだ自分では使えない言葉である。

巻末付録の栗原氏による村上評論の紹介も充実している。先行研究をこんなふうに端的にまとめることができないとあかんねんなー。昨夜から、引用したいのに行方不明になっている文献探しに追われるわたしであった。

それから、駆け足読書にもかかわらず誤記を数ヶ所発見した。何ヶ所めかで思わず、出版社どこ?と確かめた。「てにをは」の誤記こそクライアントの心証を悪くする…と教育されたので、そういうところ気になる。人の振り見て我が振り直せ。シュウロンもしっかり見直せるよう早く書き上げなくては。

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2010/10/23

ミナミの子守唄

先日来、子守唄のことが気になっている。キンドルで読める子守唄関連本はないかな~と探していたら、ほしい内容からはズレるけど、"Dixie Lullaby"というおもしろそうな本を見つけた。
Dixie Lullaby: A Story of Music, Race, And New Beginnings in a New South

さっそくサンプルをダウンロードして(キンドルはこれがうれしい!)前書きを読んだ。著者は南部出身の白人。アメリカ南部で育ったけれど、土地に根づいていた人種差別を憎んでいたという。自分の故郷に誇りをもてず葛藤していたwhite southernerの存在というのは、これまで考えたこともなかったので興味深い。
音楽に目覚めた著者は、まずストーンズに惹かれるが、心から共感できるとまでは思えなかった。そんなときに出会ったのがAllman Brothers Band。見かけも歌の内容も、まさに自分の現実を表現してくれていると思ったそう。価値観がひっくり返った南部のカオスと、そこで誕生したサザンロック。。タイトルのララバイは、文字どおりの意味ではなく、著者を含む当時の若者の心を救い、育んだサザンロックのことのようだ。

もとの主旨からはズレていても、これはぜひ読みたい。キンドルなら今すぐダウンロードできるけど、表紙がないのはさみしい。やっぱり紙媒体で買おうかなぁ。中古だと安いし。と迷っているところ。

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2010/10/05

キンドリングなう

アマゾンのサイトででチェックすると、Phoenix AZ→Louisville KY→Anchorage AKと経由して、10月3日午前にはOsakaに到着していたMy Kindle。昨日到着かと待っていたのに音沙汰なし。今日、やっと届いた。これでわたしもキンドラー。

キンドルってネーミングはどうもエレガントじゃないね。Kindleそのものに罪はないけど、日本語化して「き・ん・ど・る」って呼ぶとイメージがガラリと変わる気がする。「金$」を連想したり、「おんどれ!」とか「ぶんどる」に近い語感。。う~ん、「どる」の印象がわるいのか。
kindleはもともと「火がつく/火をつける、(感情・興味など)を燃え立たせる/興奮する」という意味があるので、googleみたいに新語というわけではない。でも、もう新しい意味が加わってるよね。「Kindled」というタイトルで、Kindleにすっかり惚れこみ、その魅力を語る記事があった。こんなふうにダブルミーニングで使われることが増えそうだ。

マイキンドルが届いたものの無線LANのパスワードがわからなくて相方に問合せる。時間帯にもよるのだけど、我が家ではワイヤレスネットワークの一覧に10個くらい表示される。1つだけ「セキュリティで保護されてない」のがあるのだけど、他所様のところに侵入するのは憚られるので相方の帰りを待つことにする。その間に、青空キンドルで変換した日本の作品を入れてみた。

マイキン!?で作品タイトルが表示されるのを確認し、なんとはなしに漱石の『倫敦消息』を読み始めたところ、これが大変に可笑しい話であって、気がついたときには最後まで読み終えていた。とはいえ、わずか40数頁の短きエツセイであるから、殊更に読み終えたと吹聴するほどのこともないのだが、なにぶん「Kindled」第1作目ということでメモリアルなる電子書籍と称したい心持ちなのだ。 。いや~、漱石っておもしろい。英語を読むのに疲れたら漱石で気分転換しよう。

Kindleの文字は本当に読みやすい。よくわからないけど、EINKというもののおかげなのか。横に並んだ電子辞書の見づらいことといったら。 Kindleがあれば、旅行するときも、どの本を持って行こうか…と重さを比べる必要もない。これで読書熱に火がつくかも。今はお尻に火がついているんだけど。ああ、胃が痛い。。

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2010/07/22

カラキョー

あづい。あづ過ぎる。梅雨明けってこんなに暑かったっけ? バス停でじっと立ってるだけで倒れそう。前に並んでいた男子学生の背中にTシャツが貼り付いていた。わたしがやたら暑がりのおばちゃんというわけではない。みんな暑いのだ。と妙なところで安心。
いきなりの猛暑に参っているけど、梅雨明け以降の夕焼けが見事なのはうれしい。暑い日って夕焼けもきれいになるのかな。
最近は、クーラーを求めパソコンごと移動して、食卓で勉強している。夕暮れ時に家にいると、モニタの向こうにこんな空が見える。ついつい見入ってしまうので日が暮れるまで勉強に身が入らない。まわりはだんだん夏休みモードなのに、なんで来週も授業があるかなー。

昨年の柴田元幸先生に続き、今日は亀山郁夫先生を招いて、年に一度の講演会。タイトルは「黙過と共苦/―ドストエフスキー文学の現代性」。幅広い聴衆に合わせて下さったのか(一般参加OK)、プライベートなエピソードなどを盛り込み、わかりやすい話をして下さった。A3両面のハンドアウトは盛り沢山の内容で半分も進まなかったけど、「これはいいこと書いてますからねー、後からじっくり読んでください」と自画自賛されてただけあって貴重なおみやげ。
きっと亀山先生の新訳は今日の講演のようにわかりやすいのだろう。カラキョーこと『カラマーゾフの兄弟』を読んでみたいと思った。そんな余裕はないかなあ。それよりも、今日、しきりに宣伝されてた『ドストエフスキーとの59の旅』なら読めるかな。
ドストエフスキーとの59の旅

あと、気になったのは、高村薫の『太陽を曳く馬』だけど、この作品そのものよりも「裁かれた虚空――高村薫とドストエフスキー」(『新潮』2010年8月号)で先生がこの両作家をどのように分析しているのか読んでみたい。

最後に、今日学んだ言葉:使嗾
わたしと同じで読めない方はコピペして検索してみてねー。すぐ出てきます。

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