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2014/10/10

西オーストラリア州のアボリジニとバリ人が直面する問題

先月、南の島から帰ってすぐに法事、非常勤開始、学会、台風(?)と続き、気がついたら10月に突入。後ろ髪を引かれつつ別れを告げたウブドでは、今年もウブド・ライターズ&リーダーズ・フェスティバルが開催された。数年前にこのイベントの存在を知ったのだけど、大学が10月から始まるので参加は無理。大学を出た暁にはきっと・・と期待したけれど、昨年から始めた仕事では、さらに早く、9月半ばから後期が始まるので、当分、参加は絶望的である。まあ、日程的に可能だとしても、チケットがびっくりするくらい高いので(4日間通しチケットで今年は約4万円)、実際に参加する可能性はほとんどないのだけど。

なぜウブドで? どういうライターが集まるんだろう? ウブドにゆかりのある人たち?と素朴な疑問を抱いていたのだが、最近、ある記事を読んで初めて、このイベント開催に至ったいきさつを知った。(ちなみに、これまで日本人はあまり参加してなかったと思うのだけど、今年は水村美苗さんの名前があった。)
Reflections on Ubud Writers & Readers Festival – Michael Vatikiotis

フェスティバルが始まったのは 2003年。前年のバリ島爆弾テロ事件が引き金となり、観光客が激減し、停滞する島の再生をかけて企画されたという。記事によれば、最初は主にオーストラリア人(=バリ島を訪れる観光客の圧倒的多数を占める)がこのイベントを率いていたようだ。テーマもイスラム教やイスラム過激主義に関するものが多かった。しかし、回を重ねるうちに参加者の国籍も多様になり、テーマ対象も拡大し、時代を映し出す国際的イベントへと成長してきた。たとえば、今年は難民問題に関するパネルや、カースト、階級についての議論が行われたそうである。

そのような中で、たまたま見つけた次の記事が紹介する対談はとても興味深いものだった。
Being a Custodian: What This Means to a Balinese and to an Indigenous Australian Custodians

パネリストは、西オーストラリア州の先住民 "Nhanhagardi族"Clarrie Cameron とバリ島最古の村 Tengananの村長を務めたことのある Nyoman Sadr。
Nyomanは、学生や研究者からの質問に答えるために、自分の村についてもっと知らなければと調査を開始してみて、あることに気づいたという。それは、文字で記録されたものがあまりないということだ。村の老人たちに聞いてもわからない。代々伝えられてきたさまざまな知識には、なんらかの意味があるはずなのに、若い世代がそれを知る術はない。

Clarrieの場合は、また別の問題がある。アボリジニについての記録はあるが、それを書いたのは「白人」であって、かれら自身ではないという点である。アボリジニが "nomad"という言葉で表されていたことについて、かれは違和感を覚えた。書き手にとって、アボリジニは国中を彷徨っているように見えたから、ノマドと呼んだのだろう。しかし、Clarrieによれば、かれらは 100mile(≒161km)平方にわたって行動し、その範囲であれば、どこでも自分の"home"だと思っているという。だから、ノマドという言葉はあてはまらない。

だれが、だれの言葉を使って、だれの基準によって、記録するのか・・というのは重要な問題である。Clarrieは英語を話さないアボリジニのために、かれらの声を代弁する責任を感じているという。そして、かれの叔母が亡くなった今、かれらの言語 "Yamatji Languag"を守るのは自分だけだ、と責任の重さを語っている。

一方、Nyoman もバリ語が廃れていくことについて危機感をもっている。バリの若者は、バリ語と英語、インドネシア語をごちゃまぜにして話しているという。実際に、バリの友人に聞くと、家庭ではバリ語を話しているけれど、文字を読むのは難しいらしい。

Clarrieは、アボリジニの言葉を教室で教えるのではなく、子どもたちを外に連れ出して話すべきだと主張する。「生きている言葉」で、植物や果物について伝えることが最良の方法だと考えているのだ。それも一理ある。しかし、従来「口承」に頼った結果、文字による記録がないという事態を引き起こしており、それをまた繰り返すことになるのではないか。言語そのものが危機に瀕している以上、まず、それを記録する必要に迫られているように思う。

この記事を読んで、国や地域を問わず、口承による文化の継承が途絶えるという問題に直面している人々がいるのだなあと思った。口承文化と文字文化は二項対立的に捉えられてきたけれど、考えてみれば、どちらも言語ありき、という点は変わらない。では、たとえばバリでみられる数々の儀式や舞踊のような、言語を介さない文化を伝える場合は、なんと呼ぶのだろう。主に視覚と身体を使って獲得し、継承してゆくもの。厳密な意味では「口承」ではないけれど、直接性という点は共通している。

バリに行くといつも、インドネシア語を勉強しなきゃと思うけれど、こんど機会あれば、いつも行くハイスクールのバリ語の先生にちょっと教えてもらおう。

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