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2011年4月

2011/04/27

やめられないとまらない『アメリカ音楽史』

丁寧に(というか本音はゆっくりと)英語を読むクラスがあればいいのに…と思っていたら、毎回3ページくらいを精読、議論するという翻訳のクラスを見つけた。待ってました!と初回の授業に行ってみたが、時間になってもだれも来ない。一旦、部屋から出て、教室番号を確かめた。さらに待つ。。。むむっ、これはやばそう。廊下の陰でこっそり様子見をしようと立ち上がったところに先生登場。「こ、これは・・・」と先生も絶句。

「他に、この時間に取ろうかなと思っている授業はないですか?」と聞かれて、ないと答えたものの、先生もお困りの様子だったので、「あ、やっぱり受講しようと候補に挙げてたのがありました!」と切り出すと、先生は「そのほうがお互いのためにもいいでしょう!」とほっとされた。でも、その候補科目はそれほど惹かれるものがなかったので、再度、シラバスで他研究科の授業を探す。

そうしたら、ポピュラー音楽研究の基礎文献を読む授業を発見。すでに初回は終わっていたので、ちょっと不安だったけれど2回目に顔を出してみた。教室は通常の語学クラス用くらいの大きさだけど、教卓横にはグランドピアノがおいてある。後ろの隅っこには、もう1台小さなピアノみたいなのがあった。きれいな茶色をしてたけど、あれはチェンバロなんかな。次回、ちゃんと確かめよう。
男子受講生はファッションにこだわるタイプが目立つ。ロック系、ヒップホップ系はけっこう見かけるけど、音楽学研究室はクラシック系が多そうで、普段あまり見かけない、きれいめタイプがいる。こだわり方が二極化していておもしろい。

その授業で先生がすすめておられたのが『アメリカ音楽史』(大和田俊之著)。以前から要チェックと思っていたのだけど、授業後に先生と話したときに、bluesに興味があると言うと、それならまずこれを!とさらにプッシュされたので、その足で生協にゆき購入した。Twitter上でも、やめられない止まらないかっぱえびせん状態とか、面白すぎて読み進むのがもったいないと大好評。
本書は「アメリカのポピュラー音楽を駆動してきたのは『他人になりすます』欲望である」と捉え、「擬装」をキーワードに音楽の歴史化を読み解くもの。(ネット上に「偽装」と誤記のある文章が出回っている。きっと、だれかが間違えたのをみんながコピペしているのだろう。)著者はアメリカ文学の研究者で、この本は大学での講義が元になっているそう。巻末の参考文献レビューもすばらしい! ていうか、これくらい読まなあかんねんなあと身が引き締まる。ホントにこれを読み出すと予習ができないので、手の届かない場所に追いやっている。

ちなみに上記授業の先生は、こちらで紹介した新書の著者で、この4月にうちの大学に着任されたもよう。

アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)

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2011/04/21

別れ話はリャマ・フォントで?

ハンドアウトを作るとき、いつも明朝とゴシックのどちらのフォントにするか迷う。学内でも学外でも圧倒的に明朝を使う人が多いけど、わたしはゴシックのほうが好きなので。英文についてもフツーはTimes New Romanと相場が決まっている。それ以外だったらArialもOK、とライティングの先生が言っておられたので、ゴシック+Arial という組合せがわたしの基本形。でも、時と場合によって、無難な明朝+Times New Romanを選択することも多い。

年賀状の宛名フォントも、相方とわたしでは全く違うのを使っている。受け取った人はたいして気にしてないかもしれないけど。どのフォントかはあえて書かないけど、思い起こせば高校時代、書道の授業でいろんな書体を体験したのがきっかけかもしれない。書道の授業って、中学までの、お手本どおりきれいにまっすぐに書く「お習字」の概念を覆してくれた貴重な時間だった、と今になって思う。

最新お気に入りフォントは、話題沸騰中?のリャマフォント。かつての「もじもじくん」にリャマが挑戦というかんじ。なんかもう、眺めてると、ふにゃ~っとなってしまう。別れ話もこれなら、さらりと?
Llamaexamples1

LLAMA FONTサイトでアルファベットを入力すれば表示してくれるので、ぜひお試しを!
わたしはFを入力してリャマに逆立ちさせたり、OとQを並べて、そのビミョーな違いににんまりしたり。。。
リャマフォントの生みの親情報はコチラからどうぞ。

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2011/04/18

文字を読んで声を聞きたい

バリが舞台の作品を読みたいと思って検索していたら、高樹のぶ子さんの「SIA(Soaked in Asia)」というプロジェクトを見つけた。5年かけてアジアの10カ国をまわり、それぞれの国の作家と対談したり、作品を紹介したり、また、高樹さん自身がその国を舞台とした作品を書くというもの。その最後を飾るのがインドネシアだった。もう少し早く知っていたらなー。
インドネシアの巻では、バリ出身の作家オカ・ルスミニを紹介。彼女の「時を彫る男」と、バリを舞台とした高樹さんの短編「芳香(ハルム)日記」が『新潮』(2010年10月号)に掲載されたとのことなので、図書館で借りて読んでみた。

インドネシア語やタイ語は独特のやわらかい響きがある。作品を読む前から、わたしの頭の中は旅先で耳にした、なだらかな曲線を思わせる抑揚や柔らかな鼻音が渦巻いていた。でも、ページを開いて読み始めると、そんな声はまったく聞こえてこない。ルスミニさんの作品の翻訳文は、わたしにとっては硬い印象の日本語だったので、文字を追って頭に浮かぶのは無機質なカクカクした日本語だけ。バリの風景は目に浮かんでこない。
英語作品の翻訳を読むときは、それほど違和感はないので、バリの場合はわたしの中でできあがったイメージが大きすぎたのだろう。

 

昨日の「たかじんのそこまでいって委員会」に放射線の専門医である中村仁信先生が出ておられた。前回出演されたときに「放射線は少量だったら、活性酸素を生み出すし、身体にいいくらいだ」と発言して波紋を呼んでいた。今回は少し時間を与えてもらい、資料を使って、今の状況が安全であると言える理由を説明された。わたしはなるほど~と納得して、出演者一同もおおむね安堵の表情を見せてたのだけど、関東方面ではあまり放映されてないのが残念。それでも、正反対の意見を唱える学者もいるので、いったい何を信じたらよいのかわからなくなる。

中村先生のことを御用学者だと切り捨てる発言もネット上で見かけたけど、別に原発推進とは言っておられない。わたしが見た範囲では、現在の状況をもとに、ほうれん草を食べてもだいじょうぶ、水道水を飲んでも問題ない、ということを説明されているだけ。先生は、ICRP(国際放射線防護委員会)の委員でもあり、ここの基準値が昔に定められたまま変更されないでいる事情なども指摘してはった。
わたしが絶対の信頼をおいているkikulogでなにか言及されてないかなーと思ったけど、4/7が最新のエントリだった。でも、放射性物質拡散予測の誤解の話や「100mは長いか短いか」という数字の見かたの話はためになる。

それから、たまには、こちらものぞいてくださいね~。今回の旅では、カラフルなウブド市場の写真がお気に入りです。

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2011/04/15

こんな症状に気づいたら…

・夜、眠れずに、何度も寝返りをうつ。
・ため息をつく回数が増えた。
・目の奥が痛い…と両手でまぶたを押さえる。
・頭を前に倒し首筋を伸ばしたり、やたら首をぐるぐる回す。
・胃が重くて横になりたくなる。
・目の前にいる人が話しかけても気づかないことがある。
・食欲がなく、さっさと食事を済ませて先に席を立つ。
・そうかと思うと、突然ハイテンションになって踊り出す。

そんな症状を見て、相方が聞いた。
「ついにガッコー始まったの?」

まったくわかりやすい人間である。今週に入った途端、眠れなくなり、胃腸の調子が悪いわたし。
先週のオリエンテーションでは、後期課程の新入生だけ残されて、「研究者に労働時間と余暇の区別はない。寝ても冷めても研究のことを考える。精神的に非常に厳しい状態である。しかし、それを自ら選択したのだから覚悟して取組むべし」というありがたいお話を伺った。わたしみたいに兼業だとそこまで切迫してないけど、これから研究者として食べてゆこうとする人はホントにたいへん。
よく友人と話すのは、起きてる時間と寝てる時間の境界がわからなくなるということ。重症になると、起きているのに「あれ?今、寝てるのかな?」などと思ったりするらしい。ひょっとしてパラレルワールド。。。

今は履修登録前のお試し期間。いろんなプログラムの案内資料を見ていたら、あれもこれも取ってみたくなる。今年から始まった医療通訳のコースは、海外で長期滞在をする場合に役に立ちそう…などと非常に個人的な関心がある。知的財産権科目も研究科の枠を超えて履修できるので、仕事のことを考えると取ってみたい気もする。ただ、元/現勤務先の弁理士が講師の可能性大。アートや音楽はもちろん興味津々!って、なんか分裂気味やな。いろ~んな前菜を少しずつ食べるのが好き…というのと似ているかも。よそ見ばかりしていると、自分が何をやっているのかわからなくなる。メイン・ディッシュをがっつり食べるほうがいいんだろうなぁ。

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2011/04/12

「起こしたのに、起きなかった」はヘン! in English

今回の震災にあたり海外からもメッセージがたくさん届いたことはあちこちで紹介されている。こういうとき、英語だと"Our thoughts are with you"という表現が一般的なようだけど、初めてこの文に接したとき、やっぱり違うなあと思った。
まず、無生物を主語にするという英語の特色が現れている。おもしろいと思ったのは、"Our thoughts"を相手のすぐそばに存在させようという発想である。日本語だと、…をお祈り申し上げますとか、…を願っています、って言うんじゃないかな。その場合、発話者は、一方的に祈ったり、願ったりしているだけで、それが相手に届くかどうかまでは意識していない。というか、それらの日本語の文にそこまでの意味は含まれていない。

英語話者はそれでは物足りないのか、相手のところにまで"Our thoughts"が届いている状態(それがもう「結果」となっている)をイメージしているように思える。ときにそれは介入と呼ばれる姿勢にもつながるのかもしれない。

そんなことを思っているとき、ある方が「思い」や「気づき」のような名詞化がイヤだとブログに書いておられた。その後の展開で、「思う」を名詞化すると、その「思い」は、「わたしは思う」という主語+動詞の文章よりも抽象化されて、発話主体から離れてしまうという解釈があって興味深く読んだ。たしかに、個人特有の思いという意味は希薄になっているように感じる。

"Our thoughts are with you"に戻ると。。。発話主体から切り離された"Our thoughts"だから移動も可能で、相手の元に届けることもできるのかなぁ。そんなことを考えている頭の中には、認知言語学の授業で出てきた図--ボール(円)と軌跡を表す矢印--がちらちら浮かんでいた。名詞の「思い」はボールになり得る。「わたしは思う」と言うときは、ボールは存在しない。。。なんて、漠然としたイメージの話にすぎないけど、文を作るときに、どういう状態を思い描くかは、言語(文化)によって違うだろう。

ついでに思い出したこと。英語の動詞は、結果を意味として含む傾向があるという話。たとえば、"burn"は燃えてしまったという結果まで意味しているから、"I burned it, but it didn't burn"は矛盾していると感じられるけど、日本語で「燃やしたけど、燃えなかったよ」はOKなのだ。『<英文法>を考える』(池上嘉彦,ちくま学芸文庫)には他にもいろいろ例が載っているが"wake"も同様。日本語のように「起こしたのに、起きなかったやん!」などとは言えないようだ。単語1つで誤解が生じるいい例である。日本でも「起こしてってゆうたやんか~!」ともめる光景は多そうだけど。

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2011/04/10

Journeyが聞こえて… "glee"放映スタート

8日から"glee"というドラマが始まった。アメリカの学園<ミュージカル>ドラマ。「グリークラブ」といえば、男声合唱団のことだとばかり思っていたけど、このドラマに出てくるglee clubはポップスやロックを歌って踊る華やかなステージを見せてくれる。

TVからJourneyの♪Don't Stop Believin' が聞こえてきて、振り返ったらこのドラマの予告編だった。楽しそうなのでさっそく録画予約をした。アメリカで2009年にスタートしたこのドラマは大変な人気で、ゴールデン・グローブ賞の作品賞を2年連続受賞。ケーブルTVのFOXチャンネルでは、すでにシーズン2を放映しているのに気がついたので、両方平行して見ることになる。NHKは吹き替え、FOXのほうは字幕なのだけど、登場人物の言葉遣いの設定などもおもしろい。

初回を見た印象はゲイの存在が大きいということ。そういえば、『現代アメリカのキーワード』(コレ、おすすめ!)では「クイア・アイ」というリアリティ番組の大ヒットが紹介されていた。これは「お洒落なゲイの5人組が毎回1人のストレート(ヘテロセクシャル、つまり異性愛の意)の男性をカッコよく『変身』させる」番組である。これらの番組のヒットは、アメリカ社会におけるゲイの現状を反映しているってことなんだろう。

"glee"はさらりと流すと他愛もないプロットに見えるけれど、社会の周縁にいる人々を描いており注目すべき点は多いと思う。それでも重苦しくなく(一部の韓流ドラマは見てるとしんどくなるので苦手)、なんといっても音楽がいい!ので、金曜の夜にこのドラマを見れば、1週間の疲れを吹き飛ばせそう。
ちょうど今、期間限定で第1話が無料配信されている。どんなドラマ?って方はぜひコチラへ。とりあえず、♪Don't Stop Believin' のところだけ見たいという方は、45:15あたりからご覧ください。

現代アメリカのキーワード (中公新書)

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2011/04/08

ひとり入学式

おとといは入学式だったが城ホールには行かず、大学のサイトにUPされた総長告辞を読んでひとりセレモニー。記念というわけでもないけど、春の花の苗とタイムの鉢を買って、我が家も少し春らしくなった。なかなか気持ちが切り替えられないのは、あの年の春と同じ。。と父がなくなったときのことを思い出す。

今回の総長告辞(この場合は、式辞とは言わないんだろうか)もよかったー。総長の言葉は、わたしがセカンド・キャンパスライフの中で感じてきたことそのものである。最近の大学は、実用的なスキルを身につける場と捉えられる傾向にあるけれど、もっとたいせつなことがある。
このたびの大震災にふれ、総長は《他者への想像力》を持つようにと述べておられる。
以下一部抜粋。

《他者への想像力》とは、ふつう思いやりと言われますが、要するに他者を他者のほうから理解しようとすることです。その意味では、想像力とは、じぶんが抱いているイメージをさらに拡げることではなく、じぶんをここではなく別の場所から見る力のことだと言うべきです。 

 

 
学問というのはそのためにあります。世界についての視野を広げていくのです。視野を広げるというのは、すでに知っている知識を量的に拡大するということではありません。そうではなくて、これまでそんなものがあることさえ知らなかった「ものの見方、問い方、考え方」にふれるということなのです。

 

自然や社会の出来事を、そうした出来事を引き起こしている見えない構造のほうから突きとめようという科学研究の姿勢と、じぶんでは体験しようのない他人のこころの内を思いやろうとする対人関係の態度とは、このように、視点をいったん自分のここという場所から外して、出来事の側に、あるいは他者の側に置くという意味では、じつはおなじ性質のものなのです。そしてその意味で、ほんとうの科学は思いやりのあるものであるはずなのです。

思いやりのある科学。。今の日本にとって、とても重みのある言葉だ。

そして今日はオリエンテーション。順番からいって、その前に済ませなければ…と先に事務室に行って修士の学位記を受け取った。カウンタで用件を伝えると、担当の方が「金庫に入ってるから…」と別のスタッフに出してくるよう指示された。すごーい。金庫に保管されてたとは! 我が家でガラクタの一部と化するのは時間の問題。その前に実家(にある仏壇)に持って行こうと思う。

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