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2008/08/18

ショックは薄れるか

図書館でレポート用の本を借りるとき、すぐ横に並んでいたソンタグの本「他者の苦痛へのまなざし」が気になって一緒に借りてきた。

他者の苦痛へのまなざし
映像のもたらす効果は反復によって失われてゆく。身近な事例として、ソンタグは例のタバコの箱の恐怖写真(^^;)について言及している。(コワイ参考画像:オーストラリアカナダ
「ショックは慣れを生む。ショックは薄れる。たとえ薄れないにしても、人は写真を見ないようにすることができる。人々はショッキングなもの(この場合には喫煙を続けようとする人々にとって不快な情報)から自分たちを守る手段をもっている。」

それと同じように悲惨な現場の写真から目をそむけているつもりはないが、断片的に繰り返される映像によって、感覚が麻痺してゆくことは否めない。

セバスチャン・サルガドについては、かれの作品を美しすぎると批判する声もあるらしい。わたしは直接ではなく映像を介してサルガドの作品を見たのだけれど、心に突き刺さるようだった。美しいという形容詞が適切かどうかは疑問である。

ソンタグが問題にするのは、サルガドが「移住という一つの見出しのもとに、原因も種類も異なるあまたの悲惨をひとまとめにしている」こと。あまりに「大きな規模で捉えられた被写体にたいしては、同情は的を失い、抽象的なものとなる」というのだ。

無名であることや匿名性が、現実感や事象の重みをいくぶん損なうことはあり得るかもしれない。だからNew York Timesは、9.11の犠牲者ひとりひとりの「ヒューマンストーリー」を伝えようとしたのだろう。ありふれた平凡な生活、ささやかな幸せを描くことで、喪失の重大さが共感をもって理解される。
ポール・オースターは、この連載について次のように述べたという。
「匿名の集団を悼んでいるのではなく、何千人もの個人を悼んでいた。彼らのことを知ることで、自分たちの悲しみとも向き合うことができた」

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コメント

>匿名の集団を悼んでいるのではなく、何千人もの個人を悼んでいた
原爆をはじめとした日本国内各地の空襲も然り。
日本陸軍731部隊の犠牲者も。

投稿: 風屋 | 2008/08/21 13:07

ひとりひとりの命に思いを馳せる機会をもつことが大切ですね。でも、最近の事件だとメディアの行き過ぎでプライバシーとの兼合いが問題になっているし。難しい問題ですね。

投稿: miredo | 2008/08/22 00:35

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