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2007/04/22

Where Is Me ?

やっぱり大学は楽しい。夜のキャンパスはまだ寒いけど、
おしゃべりする友人がいて、教えを乞う先生がいて。
新緑がまぶしい。ラテがおいしい。音楽が楽しい。
そんなふうに感じるわたしは、ほんとうのわたしなんだろうか。

2分の1のわたしは、3月30日で時間が止まったまま。
うずくまって立ち上がれない。
それが、ほんとうのわたしなのかもしれない。
殻だけがよろよろと歩き始めて、心を置き忘れている。
何も感じない。感じたくない。

父は最期に何を話したろう。
苦しい。しんどい。もういやや。もうあかん。。。
もっと穏やかな心で、最期のひとときを過ごしてほしかった。

医師は言った:
「ガン細胞は少なくとも大きくはなってないし、転移もしていない。
 だから、抗がん剤の効果はあると評価しています。」

だから、何?

医師は、ガン細胞ではなく、父というひとりの人間に、
ふつうに生きたいと願う患者自身の想いに、
目を向けるべきではないか。

父の気持ちに寄り添うと決めていたのに、
わたしは父の心を見失っていた。
ガン細胞とデータしか見ない医師と同罪だ。

どうしたら、この罪を贖うことができるのだろう。

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コメント

大丈夫ですか?
あんまり自分を責めないであげてくださいね。
みれどさんが心穏やかに過ごせますように祈っています。

投稿: あっちぃ | 2007/04/23 21:17

私は、みれどさんの視点が間違っていると思いますよ。
どんな事でも、所謂、失敗ってどんなに頑張っても起きる物ですから、それは教訓にするしかないですよ。
失敗の積み重ねが人生ですよ。

それに、みれどさん以上のことは誰にも出来ませんよ。
私なんかキット、天国でボロクソに言われていると思いますよ・・。

投稿: some | 2007/04/23 22:16

♪あっちぃさん
コメントどうもありがとう~!
もう、この類の話は書かないでおこうと思っていたのですが、そうすると、このブログの中のわたしは、どんどん本当のわたしから離れていってるような気がして、ちょっと振り返ってしまいました。
あせらず、いまは時間が過ぎてゆくのを待とうと思います。


♪someさん
ずっと考えるのを避けていたのですが、同じ過ちをおかさないためにも、どこで道を間違ったかを見極めないとだめですよね。きちんと向き合ってはじめて前に進めるような気がします。

投稿: miredo | 2007/04/24 00:17

医者は抗ガン剤を投与して、ガンを抑え少しでも長く生かしたい。
助かって欲しい、ガンを抑えて少しでも長く生きられるのなら・・・って考えるのも、家族ならではのことです。
罪では無いと思いますよ。

どうせ助からないのなら、なるべく苦しむことなく残された時間を送らせてあげたい。
在宅医療や末期医療などの選択がないわけではないのに、それが出来なかった。
私も後悔ばかりです。

そんなに遠くない将来、私もきっとみれどさんと同じ立場になります。そして自分が生活の基盤となっている現状では、みれどさんのようには出来ない現実があります。
考えるのも嫌なんだけど、逃れられないことですから。
49日が終わり、父が退院したら、どこかに旅行しようかと思います。

自分をあまり責めないように。
someさんが書いている通り、みれどさんはよく頑張ったと思いますよ。

投稿: さくま | 2007/04/24 14:39

♪さくま さん
もうホスピスに入りたいという父に、それはまだ早いと主治医は言いました。でも、全然早くなかった! 医師なんて病室にこない日もあるから(これは医師次第でしょうけど)、結局、データでしか判断できないんでしょうね。

緩和ケアの必要性が叫ばれていますが、現実には、まだまだ緩和病棟のある病院はごくわずかで、しかも、治療を放棄しないと入れないところがほとんどのようです。せめて緩和チームをおいて、初期の段階から、こころのケアをしてもらえたらと思います。

今日は四七日で実家にゆきます。今はまだ、思い出すのは、苦しむ父の姿ばかりで辛いです。
たくさん楽しい思い出をつくってくださいね。

投稿: miredo | 2007/04/25 07:46

苦しむ姿を見るのはつらかったでしょうね。
うちは二人とも眠るように逝ったし、苦しむ姿は見ることがなかったので、その点は助かりました。

叔母は苦しんだようで、叔父がつらかったと漏らしていました。
傍目からも献身的に看病していたし、悔いは無いだろうと思っていたのですが、それでも心残りはたくさんあるといってました。
きっと満足することって無いんだと思います。

投稿: さくま | 2007/04/25 14:47

♪さくま さん
そうですね。完全に満足することなんてないのでしょうね。
振り返ったときに、できるだけ後悔を少なくするためには、なにより、たくさん会話をしておくことだと思いました。
ちゃんと気持ちが通じ合っていた…と思えることがいちばん大切だと思います。辛くて話すことを避けたり、逃げたりしていた自分が情けないです。

投稿: miredo | 2007/04/26 00:34

避けたり、逃げたりは誰でもあると思います。
私も病院に行くのが正直、苦でした。
行けば「帰りたい」とせがまれることもあったし。
「良くなれば帰れるよ」と嘘をつくことに罪悪感もありました。

亡くなった日の朝は、病院によりませんでした。
行っても意識がなかったし、疲れてもいたので。
その晩、息を引き取ったときは後悔もしましたが、近くにいて顔も出さない人と比べれば、毎日のように顔を見せていた自分の方が、数倍マシかなと思い直しました。

出来なかったことばかりではなく、出来たことも思い出して、少しは自分をほめてあげることも大事ですよ。
少しでも前向きにならないと。

頑張って。

投稿: さくま | 2007/04/26 17:20

♪さくま さん
そうですね。よかったな~と思えるコトを少しずつ思い出してみます。
何か食べたいというので、行列のできるおでん屋さんにひとっ走り…大根を買ってきて、あちち!と言いながら一緒に食べたこととか。。。
いつもありがと!(^^)/

投稿: miredo | 2007/04/27 00:53

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