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2006/06/02

開戦前夜のエドワード・サイード

今週、ある授業でエドワード・サイードの映像を観た。2003年3月17日と19日といえば、まさにイラク戦争が始まる直前。カイロ・アメリカン大学の講演会場にサイードが登場するだけで割れんばかりの拍手が響く。白血病を患っているなどとは思えない気迫でサイードが語る。

講演会の映像の合間に、ガザ在住の弁護士ラジ・スラージ(サイードの長年の友人でもある)との対話の映像が挟まれている。スラージによるとパレスチナ側からイスラエル側へ、そしてエジプトの検問所通過というわずか250mの距離を移動するのに最低8~9時間かかるという。サイードに会いにきた日も、朝の6時にガザの家を出て、夜9時半頃カイロに到着した(15時間以上かかっている!)と淡々と話していた。自分たちにとっては当たり前のことだというスラージ。

人は自由に移動できるはずだというサイード。人はいつでも交じり合うものなのに、なぜ境界を作って分断しようとするのか。ありもしない境界、壁を作るから「衝突」を呼び起こす。「文明の衝突」というのはdemagogueの愚かな主張である。文化や民族は相互に作用し絡み合っている。他者を正しく理解し、共生を追求しなければならない。
アメリカのイラク介入は、他者を自分の思い通りに動かそうとする帝国の発想に基づいている。他者も同じ人間であり、それぞれの意思を有していることを理解すべきだ。

パレスチナ人でもあり、アメリカ人でもあるサイードは、自らのidentityを問う時期を経て、最終的に「identityというのは自ら選び取るもの」という結論に達した。また、サルマン・ラシュディの「想像の故郷」という言葉を紹介し、生きてゆくということは、他の故郷を持つために自分自身を広げてゆくことだと語っていた。

この講演から約半年後、サイードはこの世を去った。今のイラク情勢を見たら、サイードはどんな言葉を発するだろうか。
なお、サイードをめぐるドキュメンタリー映画「OUT OF PLACE」が秋には大阪で公開される予定。詳細はこちらのサイトで。

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コメント

「他者を正しく理解し、共生を追求しなければならない。」確かにそうだと思う。「親」と「子」の関係でもそう思うので、自分の「親」を思い浮かべて言い換えてみました。
「他者を正しく理解し、共生を追求しなければならない。『親』は、『子』を自分の思い通りに動かそうとする発想に基づいている。他者も同じ人間であり、それぞれの意思を有していることを理解すべきだ。」
長く住んだ「親」のいる「家」と決別して、朝の6時にガザではないが家を出て、夜9時半頃カイロに到着するわけではないが、遠くから仕事に行くのもいいものだ。

投稿: あーだこーだ | 2006/06/03 19:14

そうですね。すべての人間関係にあてはまることですよね。
わかっていても難しいことですが。
それに理解の範疇を超える存在だってやっぱりあると思うし。

お引越し完了されたんですね!
通勤ルートが変わると、「道草」できるところも変わって楽しみが増えたりしますよね。
私は最近、大学へのバスが苦痛で。。。(+_+) 体調が悪いと、ホントに酔いそうでつらいです。

投稿: miredo | 2006/06/04 21:03

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